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<民話>かぐや姫は榊原温泉からお発ちになられました
昨日の雨の後、びゅんびゅん風が吹いて雲のお掃除がされて夜には上弦のお月さまがきれいでした。
今年の中秋の名月は10月4日ですね。
お月さまにちなんだお話を入れさせていただきました。


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昔々のお話に「かぐや姫」がございます。
かぐや姫は月からのお迎えが来て月にお帰りになった。
平安時代に出来た「竹取物語」です。
竹取の翁(たけとりのおきな)によって光り輝く竹の中から見出され、翁夫婦に育てられた少女「かぐや姫」のお話ですね。

実は「かぐや姫」は景行天皇の皇女、娘さんで斎王をお勤めになられたイオノヒメなのです。
榊原温泉に縁があるというか、ここからお月さまにお上りになったのです。
決して、かぐやさまは竹藪生まれではありません。
大和朝廷の宮殿でお生まれになり、父の景行天皇がお役に就(つ)かれたとき、まだ幼いイオノヒメは斎王として伊勢斎宮に向かわれました。
伊勢に向かう途中、禊(みそぎ)をするためにこの土地に湧く「ななくりの湯」で身を清められ神宮に仕えられます。
ここはまだ榊原の地名はなく、七栗上村(ななくりかみむら)の濱の田(はまのた)にこんこんと湧く「ななくりの湯」は水で行う禊と違って、とても気持ちがよい。
そこへソヤ谷からタケノコをフゴに入れてモクベエさんが帰ってきました。
フゴの中のタケノコを見て姫は「それは何じゃ?」と聞かれました。
モクベエさんは無言で一本のタケノコをその場でむいて「これじゃ、姫みたいに可愛いじゃろ」と見せました。
柔らかくつるつるの可愛いタケノコをなでながら姫は「これをどうするのじゃ?」と聞かれ、掘ったばかりのタケノコの柔らかい先の部分をモクベエさんは食べさせました。
姫はたいそうお気に入り、帰りもぜひ寄るから「食べさせてたもれ」と斎宮へ行かれたそうです。
イオノヒメはタケノコの味を忘れられず、斎宮を愛称として「竹の都」と名付けられたそうです。
さて斎王のお勤めを終えられたイオノヒメは、けっして行きのコースは通らず、帰りは別コースという掟を破られ、また同じ道で帰京すると申されました。
「ななくりの湯」で清めればいいのじゃ、と姫のお考えにお就きの人たちは逆らえません。
でも、お就きの人たちは自分たちだけでも「ななくりの湯」は止めておこうと、ここのすぐ近くの高宮の里で姫のお戻りを待つことにしました。
姫は勤めを終えたことを射山神社に報告し「ななくりの湯」でゆっくりお清めになられました。
そしてタケノコを食べさせてもたっらモクベエさんを探すが見つかりません。
待てど待てど見つかりません。
とうとう姫は待ちくたびれて亡くなられました。
さて
高宮の里で姫のお帰りを待っていたお仕えの人たちにも訃報が伝わり、「やっぱりついていくべきだった」といいながら、控えていた高宮の里にイオノヒメの塚を建て供養しました。
地元の人たちはそのことを知って、高宮のこの地を姫の名を借りて「イオノ」にしようと、今も五百野の地名は残っております。そしてイオノヒメは高宮神社境内に祀られています。
榊原に残る伝説では、お伴の人たちが迎えに来てお月さまに向かわれたと伝わっています。
そのために中秋の名月、十五夜さんにはイオノヒメがウサギとタケノコを掘っている姿が見えることがあるんです。

by ito-sakura | 2017-09-29 12:58 | 糸さくら
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